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【特集】阿里巴巴(アリババ)集団、米国上場目前!?日本企業が学べること

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004中国eコマースの巨人・アリババ - どのように生まれて育ったのか

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2014年5月6日、中国のEコマース(電子商)取引の最大手企業であるアリババ・グループ・ホールディング( Alibaba Group Holding/阿里巴巴集団) は、アメリカ証券取引委員会(SEC)に新規株式公開( IPO)を申請しました。順調に行けば9月に上場を目指しているとの事。

今回は、15年前に18人の仲間と、中国・杭州市のマンションの一室で立ち上げたB2B(企業間電子商取引)サービスを起点に、日本ではトヨタ自動車と同等にあたる推定時価総額20兆円企業に成長するまでの軌跡をご紹介します。

アリババの原点は、1964年に杭州(ハンジョウ)市で生まれた馬雲(マー・ユン/Jack Ma)氏が1999年に同市のマンションの一室で立ち上げた中小企業間取引をマッチングするB2B(企業間電子商取引)サイトの「阿里巴巴国際交易市場(アリババ・ドットコム)」です。

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1988年に杭州師範学院(現:杭州師範大学)英語科を卒業した馬氏は杭州の別の大学で英語と国際貿易を教える講師として働く一方で、定年退職した教師が翻訳を手がける「海博翻訳社」を運営していきました。

1994年末のある日、偶然馬氏は「互聯網(インターネット)」という言葉を知ります。中国において初めてインターネット・プロトコルによる接続が行われたのは同年4月20日で、まだ人々が存在すら分からない時期でした。

翌年1995年初頭、馬氏が貿易代表団の通訳として訪れたアメリカ・シアトルで初めてインターネットに触れます。しかし、当時パソコン知識がズブの素人だった馬氏は友人のサポートを受けながら、インターネットが何なのかという知識を深めていきました。

同年4月、馬氏、馬氏の妻、友人の合計3人で合計2万元(当時のレートで約20万円)を投じて、企業のウェブサイトを専門に制作する「杭州海博網絡公司」を立ち上げ、その会社の目玉として中国初のビジネス情報配信サイト「中国黄頁(中国イエローページ)」を開設します。

その後、中国黄頁は2年あまりで約500万元の利益を出すことに成功。その成功を認められ馬氏グループは北京の中国国家対外経済貿易合作部の下部組織としてEDI(Electronic Data Interchange、商取引に関する情報を標準形式に統一して、企業間で電子的に交換する仕組み)を取り扱う企業の立ち上げの為、経営者としてヘッドハントされます。

政府資本企業では中国国家対外経済貿易合作部の公式ウェブサイトや中国のインターネット取引市場サイトを手掛けましたが、類まれなる才能を有した馬氏は満足できず、1999年3月に社長を辞し、地元の杭州に戻ります。

そこで、馬氏が目をつけたのがB2Bビジネスでした。当時、中国国内では民間の大企業が少なく、無辺際とも言えるくらいに中小企業が存在していました。中小企業は自社でウェブを使って仕入れ、また販売をするというノウハウも資金も足りていない時期でした。そういった彼らに有用なプラットフォームを立てれば、顧客を増やせるだろうと考えたのがアリババドットコムのビジネスでした。かくして、50万元を投じた企業・アリババがスタートしました。

しかし、1999年時点で中国のインターネット利用者は890万人、普及率がわずか0.7%に過ぎなかったインターネット市場、そして世界的なITバブル絶頂期を超えて転落へ向き始めていた時期。アリババドットコムは開設当初から馬氏の理念の1つである

「顧客のポケットの中にある5元を見るな。まずはそのポケットの中の5元を50元に変えるよう手助けしなさい。その後にそこから5元もらいなさい」

「もし、顧客が5元しかお金を持っていなくて、それを持って行ったら、顧客はたぶん終わる。もし君がその後新しい顧客を探しに行ったらそれは騙し取りだ。顧客は終わる。貧しくなる。アリババも終わる」

という考えから、アリババドットコム立ち上げ当初から完全無料でサービスを行います(最終的には無料化政策は約4年継続しました)。

その効果もあり、オープン直後の1999年末時点で会員数8万人を集めますが、人が集まるとサーバーの拡張や新たな人員採用であっという間に投資した50万元が溶けてしまい、アリババは資金繰りに苦しむことになります。

しかし、程なくして最初の転機が訪れました。鍵を握る人物は2人。1999年10月にアリババに加入した元弁護士の台湾人・蔡崇信(ツァイ・チョンシン/Joseph Cai、現・アリババ執行副会長)氏、そしてソフトバンク、ヤフー社を率いる孫正義氏です。

馬氏と同じ1964年生まれの蔡氏は、父・祖父が「常在国際法律事務所」という台湾の大手法律事務所を経営していた影響で、小さい頃から法学の素養がありました。アメリカの名門・イェール大学を卒業後、スウェーデンの投資銀行・インベスターABに入社。香港支社でアジア業務を担当します。インベスターABがアリババへの出資を計画することになり、蔡氏が代表者として馬氏と会うことになりました。

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事前に蔡氏の友人から「馬はちょっと狂気じみた人。だけど...。」と聞いてはいたものの、蔡氏は馬氏と話すうちにアリババに惚れ込んでしまい、当時70万ドル(約7000万円)だったインベスターABの年俸を捨て、月給500元(約60ドル/6,000円)しか給料が出せないアリババを選ぶことに。

馬氏は社交的で話がうまく、独特の個性で人々を惹きつけるタイプ。一方の蔡氏は慎重で厳格、目立たないことを好むため寡黙ですが、高年俸を捨てアリババに加入したように、一度決断してしまえば泥舟でも命がけで乗り込む性格。何よりもインベスターABの経験から交渉入札に精通していたことが大きな要に。

2000年、インターネット業界が血の海へと変わり始め、いつ転ぶかも分からない時期にアリババは2500万米ドル(約25億円)の資金を必要としていました。蔡氏の手腕でゴールドマン・サックス、フィデリティなどの投資銀行から500万ドルの出資を取り付けます。そして、残り2000万ドルを確保するために、蔡氏が動いた結果探し当てたのが孫正義氏でした。

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ソフトバンクの東京オフィスに馬氏と蔡氏が出向き、プレゼンテーションすることに。

プレゼンテーション開始直後から、馬氏の独特な魅力で孫氏を惹きつけ、孫氏は事業計画書も見ないままにアリババのビジネスモデルを理解して、「アリババを第2のヤフーに育て上げる」という決断をさせます。

結局、必要な2000万ドルを引き出すまでに2度の駆け引きがありましたが、蔡氏の交渉入札テクニックをうまく発揮した結果、希望額を引き出すことに成功しました。

ソフトバンクの出資金が入った直後に、アメリカのハイテク株のバブルが弾け、多くのIT企業が波にさらわれ消えていましたが、絶妙なタイミングで必要十分な資金を得られたことで、生き残ることに成功しました。

アリババを語る上で、どうしても馬氏の存在だけに目が行きがちですが、馬氏の背後で静かな存在感を出す蔡氏の活躍も、今日に至るまでのアリババ発展を語る上に欠かせない人物と言えるでしょう。次回は、アリババの最初のビジネスであるアリババドットコムについて、詳しくご紹介します。


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著者情報

マスヤマトモアキ

増山智明

1975年北海道生まれ、2005年に語学を全く勉強せずに、単身中華人民共和国に渡航。 しかし、渡航1ヶ月未満で日本語が分からない中国人女性と出会い、中国語がたどたどしいのに更に5ヶ月後にスピード入籍。度胸があればなんでもできちゃう!? 中国では外資系ウェブ関連企業にて勤務していたが退職して、2014年5月に日本帰国。中国人妻と3歳の双子の男の子を抱えながらの生活。おカネのために中国関連の輸出入業始めました。

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増山智明

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