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008神社仏閣が医療ビジネスでぼろ儲け!?医者を本気で頼りにできなかった江戸時代

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現代日本では医療行為が出来るのは、医師免許取得者だけです。
しかし、江戸時代ではそのような資格は存在しませんでした。ヘタすれば誰でも医師を名乗れるという危ない時代ではあったのですが、そもそも医者にかかることができるのが、当時はお金持ちだけ。
では、医者にかかることができない、庶民たちはどうしたのでしょうか?江戸時代の医療技術や知識の限界という問題もありました。そんなところに、当時の医療ビジネスの強いニーズが存在していたのです。

頼りになるのは、医者ではなかった!?

八代将軍・徳川吉宗の治世にあたる1722年、ついに貧しい庶民でも無料で入院できる施設が江戸に誕生します。有名な小石川養生所のことですね。しかし、実は小石川療養所では入院できる期間が決まっており、期間を過ぎると強制的に退院させられてしまったのです。小石川療養所があろうとなかろうと、病気になること自体が「死」に直結しているという認識は、確実に人々の間には残っておりました。

そもそも江戸時代の医者は当時、重大な「ケガレ」だと考えられていた血や病変に接する職業でした。医者は現代日本のように尊敬される知的職業の人々というよりは、ある種の職人(か、それ以下の存在)としてしか扱われなかったのです。

将軍やその家族に仕える、医師の中でも最高クラスの身分の御典医にも、患者との間には超えられない「身分の壁」がありました。たとえば医療行為の際ですら、患者の身体を直に触ることは御法度でした。糸脈といって直接、高貴な人の身体には触れずに脈を取る方法が考案されていましたが、正確な値を計測するのは不可能です。医者にかかることが出来る裕福な階級の人すら、医療を本気で頼りにすることは不可能だったといえます。

Fotolia_54217546_Subscription_Monthly_M.jpg白い布に足の病気治癒などの願い事を書いた「わらじ」が奉納されている
/西国33カ所霊場 第24番札所中山寺

だからこそ、医療の代替行為にあたるような、もしくは、ただの「神頼み」としかいえないような行為のほうが、信頼できるんじゃないか......なんて奇妙なニーズが江戸時代には強くあったのですね。医者にかかることができる裕福な人たちでも寺社仏閣に参詣を欠かさない理由はそれです。これが「江戸の医療ビジネス」のニーズの根幹です。

やっぱり、困ったときは神頼み!

江戸時代の医療機関として、もっとも多くの人たちからもっとも多くから信頼されていたのは寺社仏閣の類ではないでしょうか。その伝統は一部にせよ、今日にまで続いているようです。少なくとも、筆者が幼い頃、何回かお参りした記憶のある奈良の壺阪寺では、目薬が販売されていたのをハッキリと記憶しているものです。

壺阪寺には、盲目の音楽教師・沢市という男と、その妻・お里の夫婦愛の物語が伝説として残されています。観音様の慈悲の心で一度は身投げして死んでしまった二人は蘇り、沢市の目も見えるようになった、というものですね。

今日にまで続く、伝統ある「パワースポット」の類はすべて神社仏閣の営業努力によって生み出されたものだそうです。伝説が先か、営業努力が先かはともかくとして、このようなブランド性のある壺坂寺は一貫して眼病に効く!という効能を打ち出していました。また、最初にお話したように、庶民は医者に見てもらうことができませんので、いろんなニーズが噛み合った結果、医療ビジネスは現代にまで続く伝統を勝ち得ているわけですね。

現在でも「薬師」がつく地名には、東洋医学関係の施設が集結している傾向があります。ついでに(西洋医学の)医師なども立ち並んでおり、江戸時代以来の伝統を、現代の西洋医までもが引き継いでいるといえなくもありません。

「効果あり!」に惹かれるのは、今も昔も変わらない

現代でも「●●するだけダイエット」というような、シンプルな謳い文句と内容で抜群の効果を保証する手合いの健康法には人気が集中しますが、江戸時代の庶民のニーズも同じ傾向がありました。

当時は有効な治療薬がまだ開発されておらず、やり過ごす以外の治療法がなかった梅毒のような病もたくさんありました。梅毒は「瘡(かさ)」と呼ばれており、そこから治療法も「笠森稲荷に詣でると治る」といわれていたのです。シンプルな謳い文句どころか、もはや現代人の感覚では親父ギャグとか、トンチのようなところから、医療ビジネスも始まっていたのですね......。

江戸時代の人々がもっとも恐れた病は、痘瘡(とうそう。天然痘のこと)でした。現代では撲滅に成功した病気とされていますが、昔はひとたび感染すれば死も覚悟の重病で、また腫瘍の跡が生涯のこってしまうため、結婚できなくなってしまう女性などもいました。

十八世紀末には、秋月藩の藩医で「種痘の祖」といわれる緒方春朔(おがたしゅんさく)がワクチンにあたるものを開発しましたが、この知識が一般に広がるまでには時間がかかりました。大多数の庶民たちは、瘡神は犬や赤色を苦手とするという伝承を信じるしかなく、赤一色で描かれた「赤絵」をお守りにするとか、運悪く痘瘡に感染したのなら加持祈祷にすがるとか、本当にそれ位しか、なすすべがなかったのです。

Fotolia_66333274_Subscription_Monthly_M.jpg節分に魔除けとして使われる『柊鰯』

痘瘡のように命にかかわる深刻な病気ですらそうだったのですから、他の病気対策は本当にギャグみたいなものでした。現代でも「節分の日、ヒイラギの枝にイワシの頭を刺しておくと病気にならない」といいますよね。これは昔の人たちの祈りが込められた行為でした。病気を呼ぶ鬼は、イワシを焼く煙が苦手とされていたのに加えて、トゲトゲしたヒイラギの葉で鬼の目を刺して追い払おうとしていたのですね。現代では民間療法といえるレベルですらなく、スーパーや魚屋の販促のためにだけ存在しているかのような伝統ですが(笑)、江戸時代は効果が真剣に信じられていたのかもしれません......。

また、将軍のホームドクターである御典医については、あやしい仕事をしていた......などと先ほど書きましたが、鍼やお灸、生薬の研究は江戸時代の日本で体系化が進み、現在に通じる、東洋医学の基礎が出来あがっていったのです。

© 堀江宏樹

 
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著者情報

ホリエヒロキ

堀江宏樹

歴史エッセイスト・作家。1977年生まれ、大阪府出身。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。大学在学中からフリーランスライターとして文筆活動を開始。『仰天! 歴史のウラ雑学 後宮の世界』(竹書房)で作家デビュー。性別を超えた独特の論調で、幅広いファン層をもつ。

最新刊としては、角川文庫版『乙女の日本史 文学編』が2015年7月25日、幻冬舎新書として『三大遊郭 江戸吉原・京都島原・大坂新町』が9月30日に発売。『乙女の真田丸』が10月中に発売(主婦と生活社)。
好評既刊に『乙女の松下村塾読本 吉田松陰の妹・文と塾生たちの物語』(主婦と生活社)、『女子のためのお江戸案内恋とおしゃれと生き方と』(廣済堂出版)など。監修として参加の、音楽家バトルファンタジー漫画『第九のマギア』(メディアファクトリー)の第一巻も発売中。

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堀江宏樹

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