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030古い価値観にとらわれない女性像を打ち出し続けるファッションブランド - シャネル社(2)

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先日、筆者は電車の中で「シャネルの言葉」というような本を熱心に読んでいる若い女性の姿を目撃しました。そう、シャネルの生き様には、いまだに強く人を惹きつける強いパワーがあるのですね。

......しかし、シャネルの語るシャネル、それがシャネルの実像であったかどうかはわかりません。そもそもシャネルは自らの半生を正確に語ることは好まず、自分を語った言葉にはいくつもの矛盾が生じるのが常でした。矛盾や不条理をはらみつつも、一つのスタイルとしては完全無欠。そんなシャネルの美学こそが、ブランド・シャネルの究極の価値なのです。

ココ・シャネルの波乱万丈な生い立ち

1883年、彼女はフランスの田舎・オーヴェルニュ地方の貧しい家庭に生まれました。ところがこの当時、財産がなければ自由に生きることも、自立することも出来ないのがフランス、ひいては世界の現実だったのです。
母親は若くして病死、行商人の父親から、いわば育児放棄された結果、生きるために入らざるを得なかった孤児院や修道院からの束縛生活からのがれ、当時、一人前とされる年齢・18歳に達したシャネルは世間に飛び出します。

最初は堅実にお針子などをしていたようですが、ある時からクラブ歌手を目指すようになります。このあたりに彼女らしさがあると思います。もし彼女がフツーの女のコであれば、仕事はお針子のまま、適当に稼げる男性を見つけ、結婚をもくろんだはず。ソコソコ幸せになれる道です。

しかし、彼女はその手の選択をしませんでした。歌手にした理由は身一つ、投資も少なめで出来る創作活動だからこそ選んだとも思うわけですが、歌の才能はシャネルにはなく、オーディションには落ち続け、クラブ歌手の卵をナンパしてきた遊び人男性とのコネが出来ただけでした。彼女が選んだ生き方に対し、ひとつの結論が出た感じがしますよね。しかし、この行き止まりからシャネルは、本当の意味で運命を切り開いていくのでした。

......と書けばカッコイイのですが、20世紀の初めのシャネルは、確実に低迷期の中にいました。実際のところは、裕福な男性の保護に頼らざるをえない状況で、つまりはプチ愛人暮らしです。
後に彼女はフランス軍の将校で、牧場経営者でもあるエティエンヌ・バルサンの田舎の家に入り浸る人々と付き合うようになります。エティエンヌ・バルサンとは友情に気楽なセックスがくっついたような、プチ愛人的な関係でした。
1909年、シャネルは暇な田舎暮らしの中で作った帽子のセンスを友人たちから高く評価され、これでお金を稼げるのでは、と気付きます。これが転機となりました。
パリのマルゼルブ大通りに帽子づくりのためのアトリエを持つようになるシャネルを援助してくれたのも、このエティエンヌ・バルサンという男性でした。
しかし、その翌年にはエティエンヌの友人グループの一人で、アーサー・カペルという英国人の男性にシャネルは「乗り換え」しています。そして、彼の援助でパリのカンボン通りでの帽子屋「シャネル・モード」の開店を迎えています。これは後の「シャネル」社の原点ともいうべきお店でした。
1913年にはフランスのみならず、ヨーロッパの社交界が夏をすごす場所として有名だったドーヴィルに「シャネル・モード」の二号店がオープン、第一次世界大戦後の1915年には、自分の考える新しい衣服のデザインも開始します。

Chanel_hat_from_Les_Modes_1912.jpg「シャネル・モード」の帽子(1912年)

コンプレックスがあったからこそ

......と書くと順調なのですが、結局すべてはコンプレックスがあったからこそ出来たことだと筆者は思うのですね。もし彼女が当時の一般的な美人であれば、それこそ気楽な遊び人のグループに入れていたわけですから、独身の金持ちと結婚を目指すとか、それがムリでも確固たる地位を持つ愛人になるとか、束縛がイヤならば遊び人の間を渡り歩く高級娼婦のような暮らしをしていくとか。その中で趣味として自分や友人の服のデザインはしていけばよいし、デザインだけはして、職人に自分の好みのドレスを作らせて着ればよいのです。その方がよほど楽ですからね。
ところが、前回も触れましたが、彼女は外見的には小柄で痩せており、ハッキリした意志的な顔つきをしていました。それらは当時の美人の基準の正反対の容貌だったのです。彼女にとっては自分のデザインの才能に賭けるほうが、男性の好意を信じ、それにすがって生きようとするよりも確実性があったのでしょうね。

シャネルは生涯を通じて、モテましたし、中高年を過ぎても華やかな男性関係の多い女性ではありました。しかしシャネルが心から愛したアーサー・カペルは愛ではなく、英国上院議員の娘と政略結婚を選択、シャネルは妻には選ばれませんでした。しかし愛人として、アーサーとの関係は続くのです。ところが1919年、アーサーは、南仏のリゾート地・コート・ダジュールに向かう途中に自動車事故を起こして死亡。

いつでも幸せに手が届きそうで、届かないという絶望がなければ、デザイナーとしてのシャネルは生まれなかったと思います。結局、アーサーの死を嘆き悲しむ日々をすて、シャネルはデザイナーとして生きつづけることを選ぶのでした。そしていくつもの恋を重ねていくのです。「自立した女」というイメージはどこからきていたのか?その裏にあったシャネルの生き方とデザインに対するこだわりについて取り上げます。

参考

© 堀江宏樹

 
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著者情報

ホリエヒロキ

堀江宏樹

歴史エッセイスト・作家。1977年生まれ、大阪府出身。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。大学在学中からフリーランスライターとして文筆活動を開始。『仰天! 歴史のウラ雑学 後宮の世界』(竹書房)で作家デビュー。性別を超えた独特の論調で、幅広いファン層をもつ。

最新刊としては、角川文庫版『乙女の日本史 文学編』が2015年7月25日、幻冬舎新書として『三大遊郭 江戸吉原・京都島原・大坂新町』が9月30日に発売。『乙女の真田丸』が10月中に発売(主婦と生活社)。
好評既刊に『乙女の松下村塾読本 吉田松陰の妹・文と塾生たちの物語』(主婦と生活社)、『女子のためのお江戸案内恋とおしゃれと生き方と』(廣済堂出版)など。監修として参加の、音楽家バトルファンタジー漫画『第九のマギア』(メディアファクトリー)の第一巻も発売中。

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堀江宏樹

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