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036戦後のパリ発!革命的なコレクション「ニュールック」で鮮烈なデビューを飾ったファッションブランド - ディオール社(4)

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興味深いディオールのモード哲学


前回の最後で少しだけ触れましたが、「ファッション産業の宿命」について、こんな言葉をディオールは残しています

「現代が抱える問題はわたしたちを非文明的な、敵意に満ちた世界と直面させた(※戦争や戦後も続いた核の脅威などについて語っている)。
女性のドレスのモードがますますフェミニンになっている背景にはそういう状況がある」

まさにこの言葉の直後に続くのが、今回のコラムの一番最初にご紹介した

「文化的な生活とは贅沢なものであること。
それこそが、わたしたちが守ろうとしているものなのだ」

という一節でした。

みずから戦争という危険と欠乏の時代を経験したディオールは、女性がフェミニンでいられること、それ自体が平和のシンボルであり、そのような女性の姿を自分のドレスで彩ることが「非文明」への抵抗であると考えていたのです。興味深いモード哲学と思いませんか?

当時のディオールのドレスが、流行を超えて普遍的な美的価値を持つのは、ディオールが「フェミニン」な服の意味を深く考え、昇華させる形でブランド展開出来ていたからなんですね。ディオールの服が爆発的に欧米の富裕層に浸透していったのは当然の流れかもしれません。

トータルコーディネートの誘惑

しかし、その当然の流れをうまく商売繁盛に結びつけることも忘れないのがディオールの抜け目なさでした。少し前にも触れましたが、ディオールは自分のブティックを思うがままに作っています。

「毛皮、帽子、バック、ジュエリー、手袋(シャルロット・シンクレア『VOGUE ON クリスチャン・ディオール』)」といったあらゆるアイテムがディオールのメゾンには置かれ、総合展開されていました。また、それらのアイテムのライセンスもすべてディオール自身が管理していました。

そもそも、オートクチュールのドレスを作る際、顧客は何回もブティックを訪問しなくてはなりません。仮縫いが進んでいくにつれ、顧客はこのドレスに合う宝石は何か......といったコーディネートの問題に直面しました。ここにディオールは大きな商機があると考えていたのです。

Fotolia_44409674_Subscription_Monthly_M.jpgブティックでトータルコーディネートができるのは、当時としては画期的なビジネスモデルだった。

現在の貨幣価値にして、オートクチュールのドレスは最低でも1着につき数十万円、ディオールのドレスは高価さで知られていたので数百万円以上してもおかしくはありません。
こんな高い買い物をしている時、お客のテンションは上がっており、普段以上に財布のヒモは緩くなるものです。この特別な瞬間を逃さないように、ディオールのブティックは各種アイテムで総合展開されていました。

一人のデザイナーが、トータルにお客の装いをプロデュースするという姿勢は当時、たいへんに新しいものでした。そもそもこのアイデアこそが、彼が41歳でオートクチュールのデザイナーとしてデビューするとき、多額の資金を得るにいたった「金の卵」だったのです。

そして、「ディオールの名前さえあれば何でも売ることが出来る」ようになった


創業から10年後、年間2000万ドルを超える売り上げを記録した「クリスチャン・ディオール」はグループ化するに到りました。1957年、ディオールはフランス産業への功績を称えられ、レジオン・ド・ヌール勲章を政府から与えられるほどにもなっています。

「ディオールの名前さえあれば何でも売ることが出来る」というのは、ヴォーグ誌のファッションエディターだったベッティーナ・バラードの言葉です。ディオールというブランドのイメージを広めたのは戦後、急速に発達しはじめた、この手の各種マスコミの威力でした。

「クチュリエとマスコミの関係は恋愛のようなもの(略) 不貞と和解が永遠にくりかえされる」というディオールの悟りに近い言葉には大きく頷かざるを得ません。

当時、デザインの独自性を高めるため、一般的にデザイナーは馴染みのお客以外の人間をショーに招いたりすることを避ける傾向がありました。マスコミの記者などはあまり歓迎されなかったのです。オートクチュールの新作発表会や注文会には、高い入場料を払ってでも欧米のバイヤーたちがやってきました。オートクチュールと同じ水準のモノは技術的・コスト的に作れませんが、素材や構造を研究し、デパートで次期シーズンに売り出すためのプレタポルテ(既製服)の参考にしたいわけです。

また多彩なブランド展開ゆえに、「ディオール」の名前に憧れ、ドレスは無理でも買いやすい小物や香水といったアイテムを庶民は買ってみるという構図も生まれました。最終的にディオールとは夢を売る企業にまで成長していったのです。

「私は世界中の女性のニーズを知らねばならない」という言葉を、ディオールは残していますが、それが出来たがゆえに、経済的な大成功を収めることが出来たのでしょう。

死後も受け継がれているブランドの信念

dior_Stamps_of_Romania_2005.jpgルーマニアの切手にもなっているクリスチャン・ディオール。「Dior」は世界中で有名なファッションブランド。

ご存じのようにクリスチャン・ディオール本人の死後もブランドは生き残り、その成長の軌跡は今日に到ります。現在ではクリスチャン・ディオールではなく「Dior」とだけ表記するようになっており、たとえば「シャネル」のデザインのように、コルセットを使わないのが定番というような一つのイメージが継承されることはないのが特徴です。

また、女性のニーズも多様化、富裕層の価値観の変化も著しいのが現代ですね。収入と衣服と階級意識は一致しない世の中になりました。またクリスチャン・ディオールが存命中ほどオートクチュールの人気や販売成績は好調ではなく、確実にファッションの業界のトレンドは変化しつつあります。

しかし、ディオール本人が語った「文化的な生活とは贅沢なものであること」というブランドの信念自体は確実に受け継がれているように筆者には思われますし、そのテーゼが覆ることはないでしょうね。

© 堀江宏樹

 
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著者情報

ホリエヒロキ

堀江宏樹

歴史エッセイスト・作家。1977年生まれ、大阪府出身。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。大学在学中からフリーランスライターとして文筆活動を開始。『仰天! 歴史のウラ雑学 後宮の世界』(竹書房)で作家デビュー。性別を超えた独特の論調で、幅広いファン層をもつ。

最新刊としては、角川文庫版『乙女の日本史 文学編』が2015年7月25日、幻冬舎新書として『三大遊郭 江戸吉原・京都島原・大坂新町』が9月30日に発売。『乙女の真田丸』が10月中に発売(主婦と生活社)。
好評既刊に『乙女の松下村塾読本 吉田松陰の妹・文と塾生たちの物語』(主婦と生活社)、『女子のためのお江戸案内恋とおしゃれと生き方と』(廣済堂出版)など。監修として参加の、音楽家バトルファンタジー漫画『第九のマギア』(メディアファクトリー)の第一巻も発売中。

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